第2回 「手を離れて、作品は始まる」
とある演劇を観にいった。
観る、というよりも巻き込まれる、単なる観客でいられない気持ちにさせられる演劇だ。演者が自由に舞台を離れ闇夜を駆け抜け、木々のざわめきや湿度をも味方に、そのまま全て引き込んでゆく。生演奏、破裂するような歌声、酔ったように濃い2時間半。
身体を芸術へと昇華するひとたちの美しさに目を見張る。表現の力に感服し、圧倒されて感動するところでもない箇所でボロボロ泣いてしまった。

絵画や立体を制作する場合はとくに、自分が手を動かし続けねば完成に至らぬことが多い(自然に作品を委ねる、文明の利器を使用するなど多様な制作方法があるため一概にはいえないが。)想像したものを現実へ形にするため、わたしは専ら手を動かすほうだが、形になった、描き終えた、展示した、で終わらないことが大切ではないかと考えている。冒頭で出てきた演劇はまさに制作(稽古)を積み完成度を高め、展示(演劇本番)に最高のパフォーマンスを注ぐ流れだが、注目したいのは観劇後の鑑賞者がどういった心境になるかだ。わたしの場合、なんて贅沢な体験をしたのだろうと思った。何故なら現在既に数ヶ月、時間が経過しているにも関わらず、薄れるどころかより鮮やかに思い出せるからである。
作者の手を離れた作品は鑑賞者と対峙した瞬間、その後、過去にも未来にも影響を与える。作家と作品、作品と鑑賞者、すべては円のように繋がっているものだという感覚を忘れないようにしたい。