第18回「桜をみにいく」
先日、ゴールデンウィークが明けた頃、見頃だった八重桜を眺めに行った。
普通ならば大きな公園などの観光名所に行くだろうが妻が選ぶ場所は流石に違った。そのセンスを褒め称えたいのだが、妻がアトリエを借りていた思い出深い場所の周りが八重桜が咲いていて綺麗だったからと、住宅街の真ん中の公園の八重桜を見に行ったのだ。
そのアトリエ時代の頃の周辺を撮った写真は僕の作品として残っていてウェブサイトから見ることができ「melancholy」というタイトルでアーカイブされている。二人で訪れた海や、実家のる東川町、生まれ故郷の旭川、札幌のアトリエ周辺が写った作品群だ。

「melancholy」より / https://akihirosuzuki.com/melancholy
その作品をまとめていたのは6年前ぐらいになり、流石に「懐かしい」という言葉が口から漏れる風景で、変わらないところは変わらない。でも近所の買い物施設のテナントなどは入れ替わっており、時間の経過は感じられる。

写真の持つ魔力に撮った時の記憶がありありと想起されるといったものがある。本当にその写真が上手に撮れているかとか写っているものなどに関係なく、本当に昔の写真一枚で思い出話に花が咲くみたいな話を聞くと本当に写真家としてほっこりする。
作品としての写真を見るのが好きな僕であるがそれと同時に写真家ではないひとが撮ったような「何でもない写真」が本当に魅力的で嫉妬すらすることがある。

僕にとってのその何でもない写真が過去の作品群になりつつあり、写真の魔力と魅力に徐々に気がついていく最近である。本当に久々に「melancholy」の作品群を見返したのだ。
皆さんの周りにも何でもない写真は眠ってないだろうか。古いアルバム、古い携帯。撮ってばかりではなく、振り返ってみてはいかがだろうか。