写真とフレームとエトセトラ 第八回

写真とフレームとエトセトラ 第八回

第八回「光への感謝」

先⽇、撮影仕事の帰り。メガネ屋さんを営む知⼈と「現代⼈は光に感謝しなさすぎ」という内容の会話を少しばかりした。

光への感謝という⾔葉に僕はハッとさせられ、写真家であるのにその考えをすっかり持ちあわせていなかったことに気がつき、僕は少し反省したのである。

というのも電気のない時代などは夜の光源は⽕や⽉の光である。きっと平安時代などの⼈々は夜道を照らす満⽉などには感謝をしただろうし、きっととても⾝近で⼤切な思いを抱えていたのだろうと思う。その証拠に⽉を題材とした⽂学や詩などが多く残されているように感じる。それは⽉への感謝、つまり光への感謝とも僕は受け取れると思うのである。

果たして現在はどうであろう。LEDの光源など。眩しくて僕は正直、苦⼿な光だ。でも今、夜に⽂章を書いているものだからLED照明を頼りにしなければこのエッセイも完成しないのである。ちょっと嫌だなという気持ちを抱えつつ、⼿元を照らしてくれる照明には少しは感謝しなければいけないのかもしれないと思った。

写真はどうであろう。⼈は⽬を借りて脳で映像を⾒ている。写真家はカメラを借りて⾝体で映像を⾒ている。そしてその写真は⾝体とカメラ、そして光の共同作業で⽣まれているといえるのである。

そう考えると。写真家もそうでない⼈も。⼈はやはりもっと光に感謝しなければいけないのではとふと思った満⽉の夜であった。

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