ちょうど夏至を過ぎた。
北の地に暮らすと、ざっくり1年の半分は冬なので、19時まで明るい夏の日々が貴重だ。心なしか周囲の人々も積極的に外に出ているし、服装も色彩豊かになる。寒さに耐え続けた先の解放、高揚感が全面に出てウキウキしているように感じる。自分自身こんなにも若葉は美しいのかと感激して首が痛くなるほど木を見上げ、花の香りに心躍る、そんな日々を送っている。

わたしは普段、喫茶で勤めながら作品制作をしている。
制作をしていていつも思うのが、芸術を見つめる時間の重要性だ。
芸術=アートという意味が全てではなく、自然、音楽、小説や映画、人、会話、食事や夢にも美の要素が散りばめられている。日々の生活のなか「自分の胸に響く事柄を見つける」蓄積が芸術の根幹なのだと思う。
面白いことに、芸術を見るという行動が、実は人間主体ではなく芸術側がこちらを見ているように感じることがある。例えば植物がこちらを見ていて、それに呼応するように自分が見る、よく見ると水が欲しそうだなと「ささやかな交流」が始まる。とりわけ心惹かれる風景やアート作品に近寄るときも、自分が見つけたと思い込んでいるだけで、向こう側に見初められたからこそ近付くことを許されたのではないか、と思うのだ。
こういった「ささやかな交流」がずっと不思議で、飽きない。美に共通して存在するその出来事のことを考えただけで、芸術の奥深さに飛び跳ねそうになる、只今午前0:24。